★ 第23回日本身体障害者水泳選手権大会、大会新で2種目制覇!(平成18年10月)
★ 2006ジャパン・パラリンピック水泳競技大会、大会新で2種目制覇!(平成18年7月)
★ 第17回九州身体障害者水泳選手権大会、大会新で2種目制覇!(平成18年6月)
★ 発達障害実践セミナーに参加、障がいの理解を深める(平成17年7月)
★ 児玉愛美選手入会 伊東涼子コーチとの邂逅(平成16年4月)
★ 大分東スマイス・スイミング誕生、障がい者スイミングの黎明(平成16年4月)
★ 挟間スマイス・スイミング誕生:大分合同新聞に掲載される(平成15年10月)
★ 別府スマイス・スイミング誕生:XYZウオーターズの協力(平成15年4月)
★ スマイス設立1周年記念 着衣水泳大会開催(平成14年10月)
★ 日出スマイス・スイミング誕生:日出温水プールの協力(平成14年3月)
                         < 2 3>次ページ
 第23回日本身体障害者水泳選手権大会、大会新で2種目制覇!(平成18年10月)
 あっという間に有名になった二人に日本障害者水泳連盟から参加要請があった。あっち立てればこっちたたずで「参加費くらい負担してくれ」(うれしい悲鳴)と思わず思ったことだ。
 この大会でもクラスAで50m自由形33秒48で金メダル、50m背泳で37秒59、こちらは大会新記録で金メダル。
 あまりの「立て続け日本一」で広瀬知事への優勝報告は3人でひっそり行ってきた。それでも知事さんはご多忙のなか時間を割いて会ってくれた。感謝。
↑ページ先頭へ
 2006ジャパン・パラリンピック水泳競技大会、大会新で2種目制覇!(平成18年7月)
 大阪:舞州のプールで開催された2006ジャパラ。なんと児玉選手は並みいる強豪をなぎ倒し、S10クラス:50m自由形34秒78の記録で見事金メダル!続く100m背泳では勢いのまま1分26秒58の大会新記録で金メダルを掻っ攫ってしまった。
 伊東コーチからのメールを見たときは「まさか!」と思ったくらい。こちらは参加することに意義があるくらいに考えていたら、伊東・児玉の二人は密かに期するところがあったとのこと。
 伊東コーチには直ちにスマイス賞詞を贈って労をねぎらった。
 広瀬大分県知事に凱旋:優勝報告に伺った。その日のテレビ報道と翌朝の新聞報道は大変なものでした。
↑ページ先頭へ
 第17回九州身体障害者水泳選手権大会、大会新で2種目制覇!(平成18年6月)
 大分県大会の勢いをそのままに100m個人メドレーリレー(クラス:SM10)1分29秒42でいきなり金メダル。
 余勢をかって50mバックストローク(背泳)(クラス:S10)では38秒68の大会新記録で見事金メダル!九州障害者水泳連盟の強力な後押しで2006:ジャパンパラリンピックに参加が決まる。
 選手とコーチを送り出すのに株式会社BBF河村興三社長、株式会社装華 松崎一隆会長にご寄付を頂戴、まかなうことが出来た。
 NPOはギリギリの運営をしていただけに突発的な出費に対応が難しかった。反省をしてその後の運営に生かした。ご両所にはいくら感謝しても足りない。
↑ページ先頭へ
★ 第1回大分県障害者スポーツ大会で注目を浴びる(平成18年5月)
 雌伏2年、平成20年に大分国体を控えた大分県が全国障害者スポーツ大会開催に合わせて俄かに第1回大分県障害者スポーツ大会を開催した。
 水泳の部で突然の参加要請があり俄仕立てのまま、あまり要領もわからず参加。バックストローク(背泳)50m39秒0、100m1分27秒85をたたき出し俄かに注目を浴び、あわてて九州大会へのエントリーとなった。
↑ページ先頭へ
★ 児玉愛美選手入会、伊東涼子コーチとの邂逅。
 平成16年4月児玉愛美さんが自分の障害のことで悩み、目標を失いかけ母親と一緒に相談に見え、これを機会にスマイス・スイミング入会。伊東涼子コーチとの運命的出会いがあった。
 最初は障害児(者)コースと健常者コースとで競技練習を選択、二人三脚で2年間にわたる師弟の葛藤が始まる。
 児玉さんはこのときより自己の能力の向上と選手指導の勉強をスタートさせる。
↑ページ先頭へ
★ 大分東スマイス・スイミング誕生、障害者スイミングの黎明(平成16年4月)
 NPO法人大分県NPO支援センターの理事をしていたことから、大分県総合社会福祉会館に障害者用プールがあることを知り、大分県に働きかけて教室開催にこぎつけた。
 伊東涼子と宮本恵美子がメインのコーチとなってスタート。相談支援を行っていた身体障害者だけでなく、知的障害の児童も入会、大躍進の基礎作りがスタートする。
↑ページ先頭へ
★ 挟間スマイス・スイミング誕生:大分合同新聞に掲載される(平成15年10月)
 前理事長伊東賢治氏の友人の紹介で挟間町のBGプールで教室開催が可能となった。伊東徹治君がメインとなって
スタート。地域性の関連でスイミングへの関心が低く新しく開設した大分東に吸収されてゆく。
↑ページ先頭へ
★ 別府スマイス・スイミング誕生:XYZウオーターズの協力(平成15年4月)
 前理事長:伊東賢治氏の友人がXYZの木元社長で、ご縁からXYZウオーターズでの別府教室開催にこぎつけた。
 2月より障害者スイミングの相談支援を開始していた日出教室の生徒が大半移動。日出教室の運営が難しくなり閉校に至った。
 新たに伊東涼子がコーチとしてスマイス・スイミングに入ってきた。
 夫君はロスアンジェルス五輪の400M個人メドレーの選手伊東慎治君だ。義兄の伊東徹治君は日本体育協会のマスタースイミングコーチ、A級教師、上級コーチと三拍子揃った有資格者だ。
 伊東コーチと児玉選手の邂逅まであと1年。
別府XYZ(サイズ)木元社長とXYZ温水プールの全景 伊東涼子コーチ
↑ページ先頭へ
★ スマイス設立1周年記念 着衣水泳大会開催(平成14年10月)
 日出温水プールの好意で「着衣水泳大会」が挙行された。
 国立西別府病院の院長 森 照明先生が「パニック、その時脳は!」と題して基調講演を行ってくれた。
 また、二階堂酒造がスポンサーとなってバックアップしてくれた。
 消防員、ライフセーバーなど大勢が参加、実際にプールに飛び込んで着衣水泳の難しさを学んだ。
 
森先生の基調講演 伊東徹治コーチ指導の下で着衣水泳
↑ページ先頭へ
★ 日出スマイス・スイミングの誕生:日出温水プールの協力(平成14年3月)
 平成11年〜12年、「失われた10年」「企業戦士と銭ゲバ」に倦み疲れ、生きがい探しの中から平成13年夏NPOにたどり着いた。「両親」「友人・知人」「大分県=郷土」に恩返しがしたかった。
 10月認証がおりて、法人登記、スタートを切った。不健康な高齢者や生活病予備軍退治は「水泳が一番」と前理事長 伊東賢治氏とプール探しが始まった。日出町で温水プールを経営していた広津善郎氏が快く引き受けてくれスタートした。
 岡庭コーチのもと、伝えられる会員の数 7名。 児玉愛美という大分県を代表する選手輩出まであと4年。 
日出スマイスの開校を告げる記事 日出温水プール全景 水質は大分県でも一番きれい
           ページ先頭へ

 < 2 3>次ページ

topへ